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街場の大阪論 (新潮文庫)

街場の大阪論 (新潮文庫)

 いやはや、こんな本が(と言うたら怒られるか?)新潮文庫に入るんですなぁ。筆者はミーツ・リージョナルの編集長も務めた、根っからの物書き(あえてこう呼びたい。)で、だんじりに命を燃やす岸和田のやんちゃでイチビリなゴンタクレでもある。
 大阪という空間がかもし出すものを、食や、ファッション、酒などを通じて、しかも時には哲学的に、ばーっと、どぉーんと(大阪人はこういう擬音語、擬態語が大好きである。)描き出す。
 言葉を飯の種にしているものの端くれとして、大阪人は思考と書き物と話し言葉で標準語と大阪弁を使い分けてるなんてうそや!という主張は痛快。あたし自身も、通訳をしている際に、標準語と大阪弁と英語を使い分けたりしない。考えるのも大阪弁であって、それを英語に置き換えているだけ。
 筆者が、怖さと面白さのごった煮と呼んだ、ミナミのど真ん中で生まれ育ったものとしては、道頓堀の凋落を嘆く一篇も、心の底から同意、納得。この30年でミナミ(とその象徴たる道頓堀)はどれだけ下品になったことか!さらには、クラブとキャバクラの比較(プロとしての矜持を持つプロと、プロであることを意識していないプロ。プロって何のことか分かりますよな?)には大爆笑するも、なんとなく怖い気もしてくる。(ちなみにあたしは大和川から南側は怖いところだと思っていた・・・。こんなおもろいおっちゃんもたくさんいるのであろうが。)
 唯一心配なのが、内田樹センセまで動員して、大阪とはこんなんや!という売り方。今までたくさんの大阪本を読んできたが、本書はかなりの上級編である。というか、大阪を知らないヒトに読んで本書の真価が理解できるのであろうか?
 街場とは生活者の空間であると説く筆者が描く大阪は、あくまで生活空間としての「街」(行政の好きな「まち」ではない)であって、単に巨大な消費空間としての都市ではない。すなわち、本書の魅力は、大阪という雑多でごちゃごちゃして猥雑ででも優しくおもろく抜け目ない街で「生活」することによってのみ理解できるのではないか?
 本書を手に取り、大阪っておもろそうやな、と思ったヒトは、決して本書をガイドブックとして使ってはならない。全くもって何の役にも立たないだろう。しかし、大阪に住もうと決意したヒトにとって、折々読み返してみれば、本書の凄みがじわぁっと伝わってくるに違いない。大阪に住んでン十年のあたしが保証する!